Maria Conchita Alonso(マリア・コンチータ・アロンソ)

ポップ・スターから女優へ転身した、キューバ生まれの元ミス・ベネズエラです。

日本では女優としてしか知られていないマリア・コンチータアロンソですが、もともとは歌手としてアメリカや南米で絶大な人気を誇るスターでした。
デビューは1979年で当時はAmbarという変名を使っていましたが、1980年代に入ってMaria Conchita Alonso名義で数多くのヒット曲を放ちました。
ハスキーで情熱的な歌声も非常に個性的で、日本人受けするアーティストの一人だと思います。
1971年にはミス・ティーンの世界大会で優勝し、1975年にはミス・ベネズエラに選ばれ、ミス・ワールドにも出場しているが、この時は残念ながら6位に終わってしまいました。
1982年にアメリカに移住した彼女は、映画「ハドソン河のモスコー」(1984)でロビン・ウィリアムスの相手役を演じてハリウッド・デビューを果たし、1985年にはマリア・コンチータアロンソ名義での初のアルバム“Maria Conchita”がプラチナム・ディスクを獲得する大ヒットとなり、その年のグラミー賞で最優秀ラテン・アーティスト賞にノミネートされました。
さらに、“O Ella Oyo”(1986)、“Mirame”(1987)、“Hazme Sentir”(1991)、“Imaginame”(1993)とリリースするアルバムが続々とゴールド・ディスクを獲得しました。“Imaginame”ではグラミー賞の最優秀ラテン・ポップ・アルバム賞にノミネートされました。
女優としても「バトルランナー」(1987)や「ダブルボーダー」(1987)辺りから日本でも知られるようになり、「バンパイア・キッス」(1988)や「カラーズ/天使の消えた街」(1988)、「プレデター2」(1990)などヒット作に次々と主演しました。
1997年にはヒスパニック系の映画人に贈られるノソストロス・ゴールデン・イーグル賞を、1998年にはスペインのフエルヴァ・ラテン・アメリカン映画祭でフエルヴァ市民名誉賞を受賞しており、広くスペイン語圏で尊敬を集めています。
最近では、全米で大ヒット中のテレビ・ドラマ「デスパレートな妻たち」のシーズン2でガブリエルの母親役として登場。娘を女としてライバル視する、自由奔放かつウルトラ・ビッチなラテン系マダムを嬉々として演じていました。